不倫夫に対する気持ちを変えただけで世界が変わりました

妻の気持ち
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夫の不倫に気付き、事実を確認し、飽きるほど話し合いをしてようやく不倫相手と別れてくれる事になりました。

 

でも、平和に暮らせたのはわずか2ヶ月ちょっとで、夫が元不倫相手の女に毎日電話をしていたことがバレました。

バレたのは嫌な予感がした私が夫の携帯を見たからです。

 

最初の不倫発覚はとにかくショックでした。

しかし一旦終わってからの水面下というのは、裏切られ感が半端ないです。

悔しさと怒りに満ち溢れました。

許せない!

という気持ちが1番強かったです。

 

しかし平和だった2ヶ月ちょっとの間、本当に夫を信じていたかというと、それは嘘で、心のどこかに

「このまま本当に終われるんだろうか?」

「会社で毎日顔を合わせるのに平気なんだろうか?」

などと常にあらぬ妄想に悩まされました。

 

そのうち無意識に私の心の中で

「絶対またやると思う!」

という確信みたいなものも生まれていた気がします。

 

こんな私のダークな心が、現実を引き寄せました

 

度重なる嘘の罰として、離婚届まで書いたくせに(本人は離婚したがらない)、あっけなくまた同じ事を繰り返す夫に対して完璧になめられていると思いました。

そして夫への信用度も0%になりました。

 

しかし、私は絶望の底を見た時に、ようやく這い上がる方法を見つけました。

『人間落ちるとこまで落ちたらあとは上がるしかない。』

という言葉はよく耳にしますが、まさしくそれです。

 

まず、離婚届を書かせた事によって主導権は私にあるということ

私も離婚する気は無く、夫婦再構築の為に血の涙を流しながら耐えてきました。

しかし、そんな私を嫌という程見てきた夫がそれでも不倫をやめないのは、そっちの方が良いと感じているか、どうしてもやめられない理由があるいう事です。

だったら自由にしてあげてもいいかな、と。

言い方を変えれば、突き放すのも手を取り合うのも自由で、その采配は私が持っているという事。

そして、夫には夫の生き方や運命があるという事を理解したということ

スピリチュアルな考え方になりますが、人はこの世で魂の修行をする為に現世にいます。

魂は肉体に宿る前に、どのような体験をするか予め決めてくるのです。

そして、過去に体験できなかった事を今世で体験し、魂の成長を遂げるのです。

つまり夫もなにがしかの課題を背負ってこの世にいる人で、たまたま同じ時代に私がいて、私の魂も何かの修行の真っ最中なんだなと思いました。

肉体こそあるけれど、それは単なる魂の被り物。

魂の選んだ道は誰にも遮る事はできないのではないか、と思いました。

誰が幸せになりたいのかを考えた

一体私は何を目指しているんだろう?と本気で考えました。

夫を常に疑って、監視して、縛り付けて、それが私の幸せなのか?と。

夫にしてもらわなければ幸せになれない事は、真の幸せではありません。

自分で手に入れないと意味がないのです。

夫が浮気をやめたら幸せになれるかというと、違います。

私の心が幸せにならない限り、幸せではありません。

そこで私が行った事は、自分を大切にして、自分を信じて、自分が幸せになる方法を自分で見つける、でした。

人に、しかも浮気をした夫に、私の心は癒せません。

浮気をした夫を信じて許している自分でなければ意味がないからです。

自分軸で生きる決意をした

自分軸というのが全く分からなかった時は辛かったです。

でも、今は自分が心地良くなる方法を常に選択しています。

夫を疑うのが嫌だと思うなら、夫を疑う自分を許して認めてあげる事から始めました。

もし夫と一緒にいる事が嫌になったら別れる事だってあり得るし、逆に夫としたい事があれば遠慮なく提案するし、断られてもそれはそれでいい、といった感じでいろいろ緩く考えるようにしました。

夫にも「私は私が幸せになる事を考えて生きていく。」と宣言しました。

そして同時に

「あなたにもあなたの生き方があるだろうし、それ(不倫)が1番幸せと思うなら私はあなたの幸せを奪う事はできないから、もし私が邪魔をしたならごめんね。」

と伝えました。

これは強がりでもなく、ドン底を見た私が最終的に感じたままの気持ちでした。

 

私の意識は180度変わりました。

本気でどっちに転がっても私は自分が幸せになる事だけを意識しようと決意しました。

 

その時から夫の水面下がピタリと止まりました

あんなに、止めて欲しいと泣きながら頼んでもダメだったのに。

押してもダメなら引いてみなでしょうか。

不思議なもんですね。

これからはどんな道に進もうと、自分軸で行けそうな気がします。

でもそれは決してなにもかも1人でやっていくという事ではなく、そこに愛する夫がいれば2倍楽しいという事になります。

逆にいなかったとしても、楽しくて幸せな自分であり続ける事が重要なのです。

 

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